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 本の紹介 
 このページでは、嗜癖行動学に関連する本や大学の授業に関連する本の紹介をしています。

 | 『子どもの社会的自立を目指す 不登校・ひきこもりサポートマニュアル』 | 『ドーン』『お父さん お母さん、肩の力を抜きませんか?』 |

 | 『私が不登校になった理由(わけ)』 | 『21世紀の心の処方学−医学・看護学・心理学からの提言と実践』 | 『悩む力』 |

 | 『人は感情から老化する』 | 『家庭教育の隘路』 |


『子どもの社会的自立を目指す 不登校・ひきこもりサポートマニュアル』
門田光司・松浦賢長 編著 少年新聞社

 わらしべ長者のお話ではないが、私が福岡に赴任してからの縁(出会い)というのは、まさにこのおとぎ話のようなものだったと言っていい。福岡で最初に私に声をかけてくださったのは、当時、太宰府病院でOTをしていた方で、これがきっかけで以来福岡県内でのアディクションや精神保健の専門家たちとのネットワークが随分と広がった。福岡は、飲酒運転の問題やギャンブル依存の横領や窃盗といった話題には悲しいかな事欠かない地だが、こういったネットワークが礎となって、その仲間たちとこういった大きな問題に対処するための福岡方式というのをいずれは発信するのが私の目下の夢である。
 ところで、そういった縁があったお陰で、最近は不登校の子を抱えた親たちとの出会いが多くなった。私にとって、不登校は、例えるならば元気がなくなったとある木の葉の症状にすぎない。その木の根っこがどうなっているのかを探っていくのが不登校の子を抱えた親や家族との旅ということになる。
 今回紹介させて頂くのは、この福岡県立大学で行っている親たちの自助グループや、不登校の生徒のためのフリースクール、近隣の小中学校に大学生を派遣する事業についてその意味や役割をわかりやすく解説した『不登校・ひきこもりサポートマニュアル』である。
 福岡県立大学では、2年ほど前に、県内の不登校の子どもたちやその親たち、また学校の先生を支援するために不登校・ひきこもりサポートセンターをスタートさせている。ここでは臨床心理士や、精神科医、精神保健福祉士、スクールソーシャルワーカー、養護教諭、教員のOBといった専門家たちが不登校という共通の課題に協力し合いながら向き合っている。三人寄れば文殊の知恵ではないが、各種の専門家たちが集って不登校支援について考えてきたことを、わかりやすくまとめた本と考えて頂ければよい。
 全体は大きく5部の構成になっている。第1部は不登校をどう捉えるのか、第2部、3部は小学校や中学校における校内協働のあり方や校外協働のあり方、第4部スクールソーシャルワークという新しい取り組み、そして第5部には不登校問題に地域の大学と大学生を活用することの意義についてわかりやすくまとめられている。専門家というよりは、小中学校でこの問題に向き合っている教員に是非とも読んで頂けると幸いである。
(2009/12/15)


『ドーン』
平野啓一郎 著 講談社

 
 本書『ドーン』は、小説家平野啓一郎氏の新作である。私自身は平野氏と同世代のためか、彼の書く小説になぜかとても惹かれるところがある。おそらく、同時代を生きてきたためだからと勝手に理由付けをしている。これまた勝手な批評だが、昨年ベストセラーになった『1Q84』の村上春樹氏が、専ら日本の戦後に端を発した70年代から90年代を描く小説家だとすれば、平野氏はその後の21世紀以降の日本を描く小説家の代表と言ってもよいのではないだろうか。
 この小説が描くのは、近未来のアメリカ合衆国の大統領選挙を控えた様々な人間模様である。主人公は、完璧な人間のように描かれた日本人の医師佐野明日人。彼は、震災で子どもを失い、その悲しさを紛らすかのようにERの医師として激務をこなしていたが、ふとしたきっかけで、NASAの宇宙飛行士になる。人類初の火星への有人飛行のメンバーの一人としてこのミッションに参加することになった明日人。しかし、このミッションには人類の火星への探求というよりは、国威発揚をねらう大統領選挙を控えた共和党の思惑があった。明日人、そして火星から帰還した他の宇宙飛行士たちは、否応なく様々な政治戦略に巻き込まれていく。
 近未来の小説だけあって、物語の中には、現代に似かよった様々な近未来が描かれている。例えば、ネット上に小説好きの同士が協働で小説を書き綴り合うウィキノーベル。これは現代のネット上の百科事典であるウィキペディアの小説版ということになる。また、小説に登場する風呂は、INAX社製の全身全自動で洗ってくれる風呂で、ウオッシュレットを開発した日本人らしい発明として登場している。
 しかし、本書の中で、小説家平野氏が最も書きたかったのは、何と言っても“ディヴィジュアル(dividual)”という考え方であろう。個人は、それ以上分けることができないという意味で“インディヴィジュアル(individual)”という言葉が用いられるが、それに対して彼が物語で描く人間観は、人は時間や場所、その時々に接する人物によって様々な個人を持ち合わせているというものである。これを彼は小説の中で分人主義として登場させている。平野氏は、最近はTVで“助けて”と声を上げられない第二次ベビーブーム世代について語っている。このことを理解するのには、まず本書を読んでみるのが一番だと思う。

(2009/12/15)



お父さん お母さん、肩の力を抜きませんか?
−不登校・ひきこもり・いじめ 悩む子を持つ親たちにおくるメッセージ』
巨椋修 著 コアラブックス

 本学で実施している不登校の子を持つ親たちの自助グループのことは既に紹介したが、実はこの会を立ち上げる前に、福岡市のある保健師に声をかけてもらい、福岡市の精神保健福祉センターで実施しているひきこもりの子を抱えた親たちの自助グループに参加させて頂いていた。その保健師は、私が参加することでこの会の新しい方向性を模索したかったようだが、参加し始めたとたん、それは私にはどうでもよいことになってしまうほど、参加者の親たちに毎回驚いた。
 何に驚いたのか、個別のエピソードをここで紹介するわけにはいかないが、不登校の子を抱えた親たち、そしてひきこもりの子を抱えた親たちが皆、真面目だったこと。親たちの生き方そのもの、問題を抱えた子に向き合うときも、隙がないという形容がピッタリするくらいに真面目だった。そんなことを思っていたときに今日の本書『お父さんお母さん、肩の力を抜きませんか?』に出会った。
 本書は、東京に作家として暮らしている巨椋氏が、不登校問題と出会う中で書き上げた小説『不登校の真実』のいわば副産物といえる読み物で、不登校を抱えた保護者たちに、不登校という問題に囚われないで生きていくヒントが綴られている。
 全4章の構成になっているが、最初の章では「もう少し楽に生きてみませんか」と著者は問いかけている。「力を入れるコツは力を抜くことです」「楽に生きるコツは、いろいろな生き方を認めることです」など、一見するとどこかの住職の説法のようだが、教育や精神医学の専門家ではなく、言葉の専門家である小説家だからこそ教条的にならずに読めるような文章になっている。とはいえ、不登校問題に隠された子どもたちの摂食障害のことや、家族にアルコール依存症やDVなどの問題がある場合もあると大切な専門情報も提供している。
 不登校やひきこもり関連の著作を手にしていると、当事者の親を責めているような本に出会うことが多い。必死に不登校のことを勉強しようとする親は、その最初のメッセージで読むのを止めてしまうことも多いようだ。その点、本書はまず親たちを労っている。何を読んでもらおうか迷ったときにはお薦めできる1冊ではないだろうか。
(2009/9/14)


『私が不登校になった理由(わけ)』
日生学園不登校研究チーム 青田進 編著 日本教育研究センター
 
 
 
福岡県の筑豊地域にある福岡県立大学に赴任してから今年で7年目になる。いつかはこの地で自助グループをしてみたいと思っていたら、昨年末から不登校の子を持つ親たちの自助グループを始めることになった。
 当初は、まともに会が継続していくだろうかと不安だった。セルフヘルプという会の進め方を理解してもらえるのか、継続してメンバーが参加してくれるだろうか、と不安はいくつでも数え上げることができた。現在のところ、当初の不安は消え去り、7〜8人の親たちが毎回グループの場に足を運んでくれている。この会の親たちの思いは、近いうちに是非とも紹介したい。
 ところで、今日は本書『私が不登校になった理由(わけ)』を紹介したい。本書は、三重県にある学校法人日生学園の中学校・高等学校に通う生徒たちが、不登校になったときの自分たちの思いを語っている本である。
 日生学園は、不登校経験の生徒を積極的に受け入れるようになってから10数年が経過している学校である。現在では、新入生の約3割が不登校経験者という。日生学園には、中学が1校、高校が3校ある。この4校合計で近年では毎年、新入生で200名、転校生で100名の合計300名の不登校経験者を受け入れているという。全寮制の学校だからこそ、大規模に不登校の子どもたちを受け入れる事ができるのかもしれないが、その数には驚かされる。
 本書は、三部構成になっていて、前半には不登校を経験した生徒たちが、自分たちが不登校になったときの思いを書き綴っている。中には、友だちも親も誰も信じることができなくなったという男子生徒や、私を殺して欲しいと告白する女子生徒もいる。かつて、私も中学生や高校生を経験してきてはいるが、彼らの率直な告白を読んでいると、彼らの壮絶な戦いに驚くばかりである。
 本書の中盤では、3000名近い不登校を経験した生徒たちを受け入れて来た不登校研究チームのリーダーである青木氏が、様々な視点から不登校について分析を加えている。中でも、青木氏が指摘する子どもたちの“親への不信感”は、まるで青木氏自身が不登校の生徒のように語っていて、心に刺さる。おそらく、青木氏がずっと子どもたちに寄り添って来たからだろう。不登校の子どもたちの心を知るのにちょうどよい1冊といえるだろう。
(2009/9/14)


 『21世紀の心の処方学−医学・看護学・心理学からの提言と実践』
 丸山 久美子 編著 アートアンドブレーン出版
 
 卒業や入学、異動や転勤、といった季節は、わが国では年度末や年度初めの3月や4月だが、この季節にはどうも卒業や入学で元気一杯の人はあまり見受けないように思う。それよりも憂うつな表情を浮かべている人を多く見かけるのは私だけなのだろうか。
先日は、不登校・ひきこもりの子を抱えた親たちの会を福岡でコーディネートしている関係で、やはり憂うつな面持ちの母たちに出会った。母たちは、新年度になると、子どもの学級担任と保健室の先生が替わってしまうから、せっかく登校できかけている子がまた不登校になるのではないかと、憂うつな春を迎えていた。
 手前味噌になってしまうが、今回は私も上記のような話題を著者として執筆した一冊『21世紀の心の処方学』を紹介したい。本書は、緩和医療の専門家柏木哲夫氏や、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏、その他看護学や心理学、社会学の専門家総勢24人が、現在研究している領域のことや、経験していることをざっくばらんに書き綴った本である。
 ページを捲ると、ホスピスの話や、QOLの話があったと思うと、発達障害やインターネット依存、犯罪心理学の話が綴られている。一見すると、話題の多さに全体的な繋がりがないようにも思える。実際には、編者の名誉のために補足しておくと、第1部「生と死を見つめる」、第2部「生と死の質を図る」、第3部「心の科学が幸福を処方する」の全三部構成になっている。人間の死を意識しながら、現代のわが国で起きている様々な問題を見つめよというのが編者のメッセージである。
 さて、私は文頭でも述べたが、不登校やひきこもりの子を抱えた親たちの話を聴くことに励んでいる。励んでいるといえば聞こえはよいが、実際は親たちからどんな話題が提供されるのかと、ワクワクしながら話を聴いている(もちろん、時に、共に涙することもある。)例えば、彼らの話を聴いていると、彼らの多くが誰にも言い出せない強迫観念にも似た悩みを抱えていることに気づく。「ひきこもっているわが子が、いつか無差別殺人をするのではないか?」「今は笑顔でも、また不登校になってしまうかもしれないと思うと、安心して眠れない」こういった彼らの言葉から見えてくるのは、不登校やひきこもりという問題から離れたいのに離れられない(離れようとしない)親たちの姿である。不登校の当事者やひきこもり当事者ではなく、そこにいる親たちに気がついて欲しいというのが私なりのメッセージだが、ご興味のある方は是非本書を手にして頂きたい。
(2009/5/11)


 『悩む力』
 姜尚中 著 集英社
 
 今回は、姜尚中氏の『悩む力』を手にしてみた。姜氏は、ご存知の方が多いと思うが、最近は随分とテレビで見かけることが多い政治学者の先生である。テレビで先生が登場すると、どうしても我が家のリビングが静かになる。それもそのはずで、とても低いトーンの声でお話になるので、静かにしていないと彼の話が聞こえないのだ。低い声で話すと注目してもらえるものだろうか?と夫婦で話しながら、まだ姜氏のそのスタイルは授業では実践していない。(おそらく、注目されずに学生は寝てしまうだろう。)
 さて、本書では現代を生きる日本人の悩みについて、夏目漱石やマックス・ウェーバーという先人たちの生き方を引用しながら、解説が加えられている。よく悩み、悩み抜きましょうというのが本書のメッセージである。
 現代人の悩みを明治の文豪漱石や社会学者のウェーバーと対比させて論じるところに、当初違和感を覚えた。しかし、読み進めていくと、知っているつもりの漱石やウェーバーについて、新しい見方を教えてくれている本であると思う。本書の後に、なぜか漱石の小説を読み直したくなった。
 姜氏は、漱石が明治維新を切り開いた「創始者意識」の人ではなく、その後の時代をただ生きることになった「未流意識」の人と指摘している。すなわち、創始者意識の人が「何が何でも苦しい状況から抜け出して、大金持ちになろうとする野心家」を意味し、未流意識の人とは、「金持ちの親にパラサイトしている若者」や「ある程度の収入があって、ある程度の生活ができている勤め人」のことを指している。
 未流意識の人の多くが、当時、時代に対して何らかの不満を持っていて、しかし、不満を持っていたとしても、時代に対してどこかあきらめている人たちだと姜氏は論じつつ、そういった未流意識の人が、漱石の小説には多く登場していて、漱石自身もそういった未流意識の人だからこそ悩んでいた悩みがあったと姜氏が紹介している。
 つまり、現代の日本社会も、漱石の時代と同じく、野心家が多い時代というよりは多くの未流意識の人からなる社会で、我々も今こそ漱石にならって大いに悩み抜くべきだと語られている。悩む、悩まないは別にして、明治時代の日本を違った角度から見つめ直しつつ現代を知るという意味では、読みやすい本なのではないだろうか。
(2009/5/11)

 『人は感情から老化する』
 和田秀樹 著 祥伝社新書
 
 最近悲しいことのベスト3を挙げるとすると、1位「大盛りが食べられなくなったこと」、2位「あまり酒が飲めなくなったこと」、3位「1位、2位にも関わらずなぜか太ってしまうこと」だ。1位については、間違いなく10代や20代前半のようにはいかない。あの頃、食堂では必ず“大盛りで”というフレーズがメニューの後に付いたものなのだが。テレビ番組で、石塚英彦という体の大きなタレントがそれこそ大盛りの牛丼やカツ丼を食べている姿を見ていると、羨ましいとは思うがやってみようという気力が出ない。2位については、夜通し朝まで飲めなくなったという意味。夜は深夜を過ぎるとなぜか眠くなって(当たり前といえばそれまでだが)、次の日を待たずして御開になる飲み会が多くなった。
さて食欲や体力はさておき、今回は泣いたり、笑ったり、意気込んだりという気力や感情が先に衰え始めるという話。『人は感情から老化する』というと、“まさか!そんなはずはないだろう!?”と疑いたくなるのだが、精神科医の和田氏は本書の中で淡々と次のように述べている。「人間の老化は、知力、体力よりまず感情から始まる。」
 年を取ると何をするにも億劫になって、結局ひきこもりがちになる高齢者は多い。ふと、そういった人たちを想像すると、“体力が衰えたからだろう”と考えがちだが、本書によると、どうやら事情は違うらしい。つまり、意欲や自発性、その原動力となる好奇心など「感情」が老化してしまって、その結果、運動機能やIQが衰えてしまうらしい。実際、高齢者の脳の萎縮についてMRIの画像を見ていくと、記憶を司る海馬や、他の部位よりも先に意欲や自発性を司るといわれる前頭極の萎縮が最初に始まるという。
 つまり、著者によると、年を重ねると「記憶が悪くなった」とか「同じことを繰り返すようになった」といった問題が現れるよりも、まず自発的な意欲の減退や気持ちの切り替えができなくなることが先になるとのこと。“頑固ジジイ”と呼ばれる人たちがまさしくそれで、彼らの多くは、気持ちの切り替えができなくなったことで、新しい情報を取り入れることが難しくなり、昔の経験に固執しているのだという。本書では、そのような頑固ジジイにならないための生活習慣について、散歩をするとか、新しいことに常にチャレンジするとか、計算問題を解くといった事柄が書き綴られている。少々残念なのは、そういった生活習慣よりも、精神科医の和田氏には、高齢化に伴う脳の機能的な変化をもっと取り上げて欲しかったように思う。

(2009/1/21)
 『家庭教育の隘路−子育てに強迫される母親たち』
 本田 由紀 著 勁草書房
 
 福祉系の学部や看護学部では卒業論文というのが必修科目ではない。だから、卒業論文を書かなくても、大学を卒業できる。彼らにとって最も重要なのは、卒業と同時に国家試験に合格し、ライセンスを取得することで、研究というのは二の次、三の次というわけである。もっとも、大学が組織を挙げて、この国家試験合格率に汲々としているのであるから、学生が悪いわけではない。
 しかし、いわゆる文系出身の私のような人間にとっては卒論を書かない大学生活というのにとても寂しさを感じる。そういうこともあって、最近は卒論の中味の出来不出来ではなく、卒業論文に取り組むという経験を是非して欲しいと学生たちには話している。また、「先行研究を調べ、簡単なアンケート調査を経験し、それを卒論というレポートにまとめるという一連の流れは、福祉や看護の臨床現場で必ず役立つときが来る」と呪文のように学生に唱えている。
 そういうこともあってか、今年は5人の卒論履修生と春から勉強することになった。(未熟な私にとっては大人数である。)さて、その中のひとりの学生は目下、育児不安や育児ストレスについて卒論を書こうとしている。学生と言っても2歳になる男の子の母で、子育てしながら大学に通っている学生だから、卒論テーマへの思いは実体験から来る疑問や怒りが出発点になっている。その学生は、インターネットによる育児情報や、雑誌や書籍の育児情報が氾濫していることが母たちの育児不安を冗長しているという仮説を検証しようとしている。
 私も一夜漬けながら、こういう学生が登場してくれると、子育て不安や育児不安をテーマに書籍を漁る。その中で出会ったのが本書『家庭教育の隘路』である。著者は、教育学の研究者で、これまでも『女性の就業と親子関係』、『多元化する能力と日本社会』など、社会と教育をテーマに幾つかの著作がある。本書では、現代のわが国における家庭教育の現状について、母親たちへのアンケート調査、インタビュー調査から、家庭教育の格差と母親たちの葛藤を紹介してくれている。調査から見えてきたのは、高学歴の母親の子育ての方が「有利な」将来を子どもにもたらしていたという悲しい現実である。家庭教育の重要性が政策として注目される昨今、その責任を暗に追わせられている母親たちを実に見事に表現している1冊と言えるだろう。

(2008/7/22)

 
Last Update Wednesday, 16-Nov-2011 13:00:34 JST
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